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ホジュンは実話で実在したモデルいる?歴史的背景や時代も解説します!

ホジュン 実話
Nami
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ドラマ『ホジュン~宮廷医官への道~』は実話で実在したモデルがいるのかどうか

歴史的背景や時代について知りたいと思っている方多いのではないでしょうか。

今回は

  1. 『ホジュン』は実話で実在したモデルがいるのかどうか
  2. 『ホジュン』の歴史的背景や時代について

詳しく解説をしていきます!

ホジュンは実話で実在したモデルいる?

1999年に放送され、韓国の時代劇史上最高の視聴率63.7%を記録したドラマ『ホジュン~宮廷医官への道~』。

この視聴率は韓国の半分以上の人がリアルタイムで見ていたということになるので、すごいですよね!

中国や日本にも伝えられている「東医宝鑑」の作者であり、東洋医学に絶大な影響を与えた伝説の名医が主人公となったドラマです。

まず、このドラマ『ホジュン~宮廷医官への道~』は大前提として実話です。

そして、モデルは「東医宝鑑」の作者であるホジュンということになりますね。

何年経っても色褪せることなく、多くの人を魅了し続ける『ホジュン~宮廷医官への道~』。

ドラマ自体はもちろん、モデルとなっているホジュンの生き様にも惹かれる人が多いのではないでしょうか。

ホジュンはこのドラマをきっかけに韓国で知名度が上がったそうですよ!

今回はホジュンについて、詳しくお調べしてみました!

ドラマの影響力ってすごいんだなあ!

ホジュンは実話!

まず、『ホジュン~宮廷医官への道~』は基本的に実話でした。

しかし、記録されていない部分などはフィクションで作られています。

例えば、ホジュンの幼少期について記載のある歴史の記録はないため、生年月日や生まれた場所などについて現代では分かっていません。

ホジュンは、李氏朝鮮時代1539年より1615年まで生存していた医者です。

そして、ホジュンが歴史の記録に登場するのが1569年となっていますので、それ以前の内容については、基本的にはフィクションということになりますね。

ホジュンについての記載は朝鮮王朝実録にあり、王の御医であったことから非常に多くの記録が残っているそうです。

それだけ信頼されていた医師ということですね!

モデルは東医宝鑑の作者ホジュン

『ホジュン~宮廷医官への道~』の主人公であるホジュンのモデルは、東医宝鑑の作者ホジュンでした。

ホジュンは朝鮮三大名医の1人と言われていますよ!

そして、東医宝鑑とは、朝鮮独自の医学書で李氏朝鮮第14代の王宣祖が命じて作成が始められた医学書です。

この東医宝鑑は1592年に日本軍が朝鮮に侵攻した壬辰倭乱があったため、途中で一度作成が中断されていました。

その後、1608年に宣祖が死去すると、王の主治医である御医のホジュンは流刑となってしまいます。

王が亡くなることは人間なので仕方がないことであるはずなのに、医師であったというだけで責任を問われてしまうのは、今では考えにくいですね。

しかし、その翌年に第15代の王である光海君に呼び戻されて、今度は光海君の御医へと復位しました。

世子のときから診てくれていたホジュンのことをとても信頼していたようですね!

そこで、1610年にホジュンは中断されていた朝鮮第一の医学書東医宝鑑を完成させます。

大変な苦労をしているように感じますが、復職したあたりはホジュンの人望の厚さが伺えるような気がしますね。

ホジュンの歴史的背景や時代も解説します!

『ホジュン~宮廷医官への道~』の歴史的背景は李氏朝鮮時代で、ホジュンが生きていたのは第12代の王である中宋から第14代宣祖、第15代光海君の時代です。

ドラマのストーリーは主に、第14代の王である宣祖、第15代の王である光海君の時代を描いていました。

元々庶子で身分の低かったホジュンが困難を乗り越え、正一品である御医になるまでが物語の中心になっていますよね。

庶子とは両班と正妻ではない女性との間に生まれた子どものことを指しますので、今では考えられませんが、この時代での肩身が狭かったのでは?と想像できます。

身分を乗り越えて、王の専属の医者になるなんて立派だよね!

歴史的背景は李氏朝鮮時代

このドラマの歴史的背景は李氏朝鮮時代です。

数々のドラマになっている時代ですので、多くの方にとって馴染みのある時代なのではないでしょうか。

『ホジュン~宮廷医官への道~』は李氏朝鮮時代の中でも第14代の王宣祖、第15代の王光海君の時代を主に描いています。

ドラマではホジュンが宣祖の御医になるまでや朝鮮第一の医学書東医宝鑑を完成させるまでが描かれていますが、その時代背景に注目するとよりドラマを深く楽しめますよね。

宣祖の時代は日本でいうと戦国時代にあたります。

1592年の壬辰倭乱は見聞きした覚えがあるという方も多いと思いますが、日本側では文禄の乱と言いますよね!

日本人ならきっと知っている将軍の豊臣秀吉が起こした乱です。

この日本も関係している壬辰倭乱がホジュンが進めていた東医宝鑑の完成を阻んだと思うと、物語が少し分かりやすく感じる気がしました!

史実との違いはどこ?

ホジュンについて、ドラマの中での史実との違いは大きく3つです。

  1. ホジュンの師匠であるユウィテは存在していない
  2. ホジュンは師匠であるユウィテを解剖していない
  3. ホジュン科挙には受かっておらず、推薦で内医院に入った

ドラマの中で重要人物として描かれていたユウィテが存在しないとなると驚きを隠せません!

それでは、師匠であるユウィテが存在していないとなると、本当の師匠は誰だったのでしょうか。

これはあくまで一説ですが、内医院の御医であったヤンイェスだったのではないかと言われています。

ドラマの中では良い印象にはならないヤンイェスも、実際に存在していた伝説の医師の一人なんですよ!

このあたりは分かっていない部分を物語が面白くなるようにフィクションで作ったようですね。

また、これはドラマの中でも心動かされるシーンのひとつですが、ユウィテが死後自分の身体を医学に役立てるようにホジュンに伝えました。

その遺志を汲み、ホジュンはユウィテを解剖するのですが、実際にユウィテは存在していないのでこの辺りも事実とは異なります。

しかし、後に完成する東医宝鑑では解剖していなければ分からないことも書いてあるため、誰かしらを解剖したのだろうと言われてるんですよ。

ここは確かに師匠を解剖ということにした方が、物語が深くなりますよね!

もうひとつ、ドラマの中でホジュンは科挙に受かるとされていますが、実際には科挙には受かっておらず、推薦で内医院に入りました。

韓国の時代劇で科挙は非常に重きを置かれているので、この部分もフィクションとしたのかもしれませんね。

確かに推薦より科挙に合格の方がドラマでは良い気もします・・・!

まとめ

ホジュンは実話で実在したモデルいる?歴史的背景や時代も解説します!について、お届けしてまいりました。

  1. 『ホジュン』は実話で、実在したモデルは東医宝鑑の作者ホジュン
  2. 『ホジュン』の歴史的背景や時代は李氏朝鮮時代

ということでした!

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